第一章 嵐のような出会い

  1 朝の訪問者

 日曜日の朝、俺は玄関のドアを叩く音で目を覚ました。
 ガンガンガン、ガンガンガン!!
「笹宮さーん、笹宮さーん!」
 時刻はまだ十時。昨日は夜更かししてネットゲームをしていたので、もう少し寝ていたいところだった。それを……まったく誰だ?
 いや、起きるのはよそう。もう三十秒待て。そしたらこの朝の訪問者も諦めて帰るだろう。
 ――少し静かになったな。もう帰ったか?
「……郵便でーす。笹宮さーん」
 マジ? さっきのってずっと郵便だったの?
 こりゃまずい。急いで表に出ないと。再配達票に連絡するのは面倒だ。
「はーい! いますー! ちょっと待って下さい。すぐ出まーす!」
 Tシャツにパンツ姿だったがこの際もうどうでもいい。これ以上、配達員さんを待たせるのは申し訳ない。俺はその恰好のままドアを開けた。が――。
「おはようございます! 最厄新聞です! 新聞、とってますか?」
「え……新聞? 郵便の人じゃないの?」
「こうでも言わないとお兄さん、ドアも開けてくれないでしょ? ねぇ、新聞とってよ」
 ……ふざけんなよ、と思ってしまう。こんなことで起こすなよ。最悪な目覚めになってしまった。
「一か月無料にするから。ね! だから一か月だけとってよ」
「いらないス」
「じゃあこれ、ラップと洗剤とタオルもつける!」
「いらないですし、とらないです……」
 おっさんは三十後半から四十代。どこにでもぶらっと現れそうな小汚いおっさんだ。
「お兄さん、新聞読まないの? ダメだよ、新聞読まないと。皆読んでるよ」
「インターネットやテレビもあるので……いりません」
「そんなこと言わないでさー、とってよー。ノルマがあるんだよ。ね? 助けると思ってさ。一回だけでいいから」
 なんで俺がこんな無礼なおっさんを一度でも助けないといけないのだろうか。ここで助けるってことは新聞をとるってことだよな。おっさんのためにいらない新聞をとる?
 なぜ毎月四千円以上も出して、ゴミ出しの回数が無駄に多くなり、毎朝、「ガコンッ!」とうるさい思いをしなければならん。っていうか、新聞読まないし。読まないものを買う必要などあるはずがない。
「必要ないです」
「……わかったよ」
 そう言って、おっさんは帰っていった。
 俺はドアを閉め、部屋に戻る。
「なんだよあれ、あの強引な売り方。郵便の人じゃねーじゃん。詐欺だろ、あれって」
 文句を呟いても周りには誰もいない。
 何気なくテレビをつけると、数日前ウチの学校付近で女子高生が車に撥ねられたという報道をしていた。撥ねられた女の子は命に別状はなかったが、学校を休んで今も入院しているらしい。
 ウチの学校の子かな。……怖いねぇ。でもこうやってちゃんと情報を手に入れることはできるんだ。だったらなにも新聞なんかとらなくてもいいよな。
 なになに、神高春香(かみたかはるか)? 知らないなぁ……。
 ピンポーン……。
 また訪問者か?
 今度は誰? 例え、郵便局だと言われても信じられる気分ではない。なんと言われようがまず疑ってしまう。まったく悲しい世の中だこと。人を信じられなくなる。それはあの新聞拡張員のおっさんのせいだ。
 新聞拡張員は新聞販売において、新聞社や新聞販売店と別の団体で新聞の訪問勧誘を行う団体のことだ。
 俺は無視を決め込んでやろうと、何度インターホンを鳴らされても相手にしなかった。
 
 ピンポーン、ピンポーン。
 ……だが、こうも無遠慮に鳴らされ続けたらさすがの俺も無視はできない。なにせ初めのピンポンを押されてからもう三十秒だ。
 時間にしたら短いかもしれないが、一秒に一回の短いインターバルで鳴らしやがる。
 怒りの表情と強い歩調で、俺は玄関のドアを勢いよく開けた。
 ――だが予想していた光景とは少し違った。
 こういうとき大抵はおっさんってのが決まりだ。
 若いお姉ちゃんの新聞拡張員なんてのは見たことも聞いたこともない。なのに、なんで俺の目の前には女の子がいるんだ?
 それも中学生? かなり若い。せいぜい高校生だろうか。
「おはようございます!」
「あ、あぁ……おはようございます」
「新聞、とって下さい」
「は……?」
 予想外の訪問者。それに予想外のセリフ。
 今、確かに新聞とって下さいって言ったよな? 聞き間違いじゃないよな?
「今なら一か月無料にしますよ。一か月だけとってみませんか?」
 さっきおっさんに言われたこととまるっきり同じだったが、かわいい子に言われてみると反応も違うもんだな。必要のない新聞でもちょっと、とりたくなったぐらいだ。
 女の子は赤のボーダーのワンピースに、オフホワイトのTシャツ、グレー杢のパーカーを着ていた。
 生足が眩しい。膝が余裕で見えるのは俺的に非常にポイントが高い。
「俺、読まないんだ。新聞」
「読まないんですか? 新聞、読むと楽しいのに」
「っていうわけでごめんな」
「一か月でいいんです。新聞……お願い」
 え? ……なに、この感じ。
 目をうるうるさせて、上目遣い。しかもけっこう距離が近い。これなら髪のいい匂いがここまではっきり届く。この柔らかそうな髪が手を伸ばせば届いてしまうのだ。並の男ならこの誘惑に、そう簡単には耐えられないだろう。
 こんな情に訴えかける手口……新しすぎるぞ。しかし心を鬼にせねば! 新聞は必要ない。一か月四千円だ。四千円あったら三日分の食事代にはなる。ゴミに四千円、ゴミに四千円……!
 とらねぇ! 絶対、絶対とらねぇッ!!
「いらない。悪いけど、いりません」
 女の子には悪いがここははっきり断ろう。時間をかけて結局とりませんってなると彼女にとっても時間の無駄だ。
「とらないとドアの鍵穴に爪楊枝差し込んで、ぶっ壊しますよー♪」
「壊すなっ! 大迷惑だ。むしろそんなこと言うなんて逆効果だぞ」
「チッ!」
 わざわざ聞こえるような舌打ち。そして、「ぺっ!」と俺の足元に唾を吐き捨て、彼女は去ってしまった。
 怖ぇ、そして最悪だ。
 外見がかわいいからちょっと油断してしまった。こういう裏表があるから人間って怖い。
でも彼女はなんで新聞の拡張員なんかしてんだ。
 バイトするにしても、もっと高校生らしい仕事があるのに。あんなかわいい子だったら接客業なんか引っ張りだこだ。
 変な気分だった。初めにおっさんが来て、かわいい女の子が来て、それも両方新聞拡張員。
「はぁ、ワケわかんねぇ」
 ピンポーン……。
 またさっきの女の子かよ。帰ったんじゃなかったのか?
 ドアを開けると、そこには女の子だがさっきの子とは違う別の女の子がいた。
 眼鏡をかけて巨乳で……。
 とにかく乳がでかかった。長い髪も印象的だ。かわいいというより美人な顔をしている。
 大学生っぽい落ち着いたファッション。
 豹柄のキャミソールに肘までの羽織。パステルグリーンが爽やかだ。丈の長いグレーのスカートを履いていた。
「あの、どうかされましたか?」
「おはようございます、笹宮さん」
「え、なんで俺の名前を?」
「あら、だって表札に書いていますよ。笹宮って」
「あ、そうですね。表札見たらすぐわかりますね……で、俺に何か用ですか?」
「あの、初対面の方にお願いと言っては失礼なのですが……」
「お願いですか? 一体なんでしょうか?」
「新聞、とってもらえませんか?」
 ――バタンッ。
 俺は返事をする代わりにドアを閉めた。
 今日はなんて日だ。新聞祭りか? 世の中新聞拡張員だらけなのか?
 なんでこう十分の間に三人も拡張員が来る?
 これって絶対仕込みだろ? テレビ撮影? ドッキリ? ……なんなんだよぉぉーっ!!
 ピンポーン……。
 またか?
 だが、今回はインターホンが一回鳴っただけ。もしかしてすぐに帰ってくれた?
 ……と思ったのもつかの間。十秒ほどの沈黙を破り、甲高い音が聞こえてくる。
 ギュイーン、ギュイギュイ、ギュイィ―――――ンッッ!!!!
 マジかよ? これ、俺の記憶に間違いがなかったら……チェーンソーだ!
「オラオラ、さっさとこのドア開けんかいっ! でないと……!」
 ギュイギュイ、ギュイィ―――――ンッッ!!!!
 やめてくれー!
 ……もうダメだ。もう無理!
 キレてやる。次に現れる子がおっさんでも、かわいくても美人でも関係ない! 俺はキレてやるんだぁぁー!
 ――ドアを開けた。すると外には女の子が一人。
 チェーンソーは持っていないようだ。だったらあの音は……あっ!
 女の子の手にはケータイがあった。おそらくチェーンソーの稼動音をデータに保存しておいて再生したのだろう。
「新聞とれ! この野郎ぉ――――――――――――ッッ!!!!」
 今度はえらくぶっ飛んだ女だな。この子もかなり若い。たぶん高校生ぐらいだろう。
 でもなんで俺がキレる前にキレてんの? 俺、何も言ってないじゃん。
 なんとなく嫌な予感がしたのでこのままドアを閉めようとするが、ぶっ飛んだ女がその隙間に素早く足を滑り入れた。だが気づいたときにはすでに遅し。足はドアと入り口のところで挟まり、女の子は……。
「あいたっ! 足、挟まれた!!」
「あっ、すいません!」
「ぐっ……ああぁ――――ッッ! 痛ぁ、痛ぁぁ――――いッッ!!」
 大きな声で痛がる、ぶっ飛んだ女性。めちゃくちゃ痛そうだ。小さな足。向こうに非はあると思うが、俺も注意すべきだった。
「……くっ、あぁ……痛ェ! 貴様、拡張してやる! これはあれだな。うん、あれだ……警察に行く。これは立派な傷害罪だ!」
「え、ちょっと待って。そもそもあんたが勝手にドアの隙間に足を入れたんだろ?」
「なにィ? わたしの足に気づかずドアを閉めたお前のほうが悪いに決まっているだろう」
「いや、それおかしいって。だっていきなり訪問した人が怒鳴りこんできたら、普通はドアを閉めるでしょ?」
「そんなの知るか。わたしはお前のせいで足を負傷したのだ。その責任取ってもらう」
「……新聞をとれっていうのか?」
「そんな嫌々そうな顔されてもな。わたしたちにも誇りがある! 世間一般ではゴミとも呼ばれる新聞だが、それは新聞を作る人間が無能なだけだ。本来、新聞とは面白いものでなくてはならない!」
 ゴミって……自分でもわかってるじゃん。新聞ってすぐゴミになるから。いらないチラシも多いし。それもパチスロ、パチンコばっかりだし。
「わたしたちって……さっきの女の子たちとあんたはグルか?」
「そうだ。ナッツと椎名だ」
「その前に来たおっさんも?」
「いや、そいつは知らん。おっさんはただのおっさんだろう」
「あんた、どこの新聞売ってんだ?」
「玉碁新聞。一般の部と学生の部があるが購読したくなったのか?」
「だから読まないって。それより玉碁新聞って……お前らもしかして?」
「玉碁高校の生徒だ。笹宮宗太郎」
 そういや、こいつの着ている制服って玉碁高校のもんだ。紺のブレザーに赤のチェック柄。それに胸元につけている赤のリボン。鹿のような細い脚を隠すグレーのソックス。

 翌日。俺は通っている玉碁高校の教室にいる。
 結局ぶっ飛んだ女に無理やり新聞を購読させられることはなかったが、足を負傷させたことは事実。その分は体できちんと払ってもらうなどと言われた。
 一体何をさせられるんだろう……。
 っていうかあいつ、俺の学年とか教室とかわかってんのか?
 ――昼休み。
「あー、腹減った。弁当、弁当!」
 鞄の中から弁当を取り出し、さあ食おうとしたら――。
『二年C組の笹宮宗太郎君。すぐ放送部に来て下さい』
 ……なんて放送が流れてきた。
 職員室じゃなく放送部に来いだって? どうも個人的な内容で呼び出しされているような気がする。……十中八九あのぶっ飛んだ女だろうな。
 でもせっかくの弁当だ。これを食ってからでも遅くはなかろう。
 放送を無視して弁当を一口、二口と食べていると――。
『おい、弁当食ってから行こうなんて思ってるんじゃねぇぞ』
 と再びアナウンスがあった。初めの声とは明らかに違うものだった。
 怖ぇ、まるでどこかで見られてるみたいだ。スピーカーに盗撮器でも付けられてるのかな。
 周りからはクスクス笑う声と、ニヤニヤと笑う視線が恥ずかしい。
 これはキツイ。かなり強力な精神攻撃だ。また催促される前にさっさと行かなくては。
 中途半端に残した弁当を鞄の中にさっさとしまい、放送部に行くことにした。でも放送部ってどこだ?
『放送部は二年校舎の四階。お前の教室から四階まで登ればいいだけのこと』
 また絶妙なタイミングで放送が入る。俺の思考を読むな。よっぽど早く来てほしいのか。それにしても放送部がこんなに近いとは。階段を駆け上がったら一分で着くな。さっさと要件を済ませて昼飯の続きだ。
 ――四階に到着し、放送部を探す。
「お、あった!」
 新年度になったばかりで放送部の部屋の周りはポスターでいっぱいだった。よほどのアホでなかったら見逃すことはない。
 軽くノックをして戸を開ける。
 放送部の部屋には女の子が二人。一人はあのぶっ飛んだ女だった。
「よ、よう……」
「遅い。ちゃっちゃと来んかぁ」
 む! なんだその言い草は。俺だって昼飯の途中で抜けてきてやったんだぞ。
「なんだ、その顔は? なにか不満なのか?」
「不満だね。なんかよくわからんが、せっかく少しは協力してやろうと思ったのに。お前の態度がそんなだからもうやめだ。俺は教室に戻る」
「ふーん……」
 女は椅子を引き、足をこちらに向けると、いきなり靴を脱ぎ始めた。
「お、おい……いきなりなんだっていうんだよ?」
 彼女の突然の行為に戸惑った俺は思わず声を上げる。しかし、女はそれを無視。
 女はソックスに指をかけ、ゆっくりと下ろし始めた……。 すると、透き通るような白い足が次第に姿を現す。
 俺はこの魅惑的な光景にしばらく息をすることさえ忘れてしまった。 なんてきれいな脚線美なんだ。自然に俺の体温も高くなる。
 そしてソックスをすべて脱ぎ終わると、彼女はそっと俺のほうを向いて呟いた。
「この足のケガ、誰がいつどこでやったんだっけな?」
 女の足には包帯が巻かれていた。まさか骨折とか骨にヒビでも入ったのか?
「お前、どうしたんだよそれ。ちょっと足を挟んだだけじゃなかったのか?」
「これ、どうしよ。先生に言おうかな。ケガさせられましたって」
「脅しかよ?」
「脅しがいいならそうしようか?」
 この女はヤバイ。できれば関わり合いたくないが、この場から逃げられそうにもない。
「わかった。じゃあお前の足が治るまでだ。その間は協力してやる」
「さっさとそう言えばいいのよ。この暴力男!」
「暴力だぁ? お前が勝手に足を突っ込んだんだろう」
「フフ、アハハ……」
 笑ったのはぶっ飛んだ女ではない。もう一人の女だった。
「……あんたもこいつの仲間か?」
「そうね、仲間と言えばそうなるかも。笹宮宗太郎君」
「この子は放送部の次期部長だ。新聞拡張部には横のつながりが広い」と、ぶっ飛んだ女が言った。
「待て……新聞拡張部? 新聞部とかじゃないのかよ、お前」
「ふん。確かに以前はな。だが、新聞部は解体され、今は報道部と新聞拡張部に分かれてしまった。だから新聞部なんてもんはない。今から新聞拡張部の部室を案内してやろう。ついてこい」
「今から?」
「当然。我が部には時間がない。今は春香がいないから特にな」
「春香? 誰だ、そいつ」
「新聞拡張部をわたしと一緒に発足した女だ。本来なら彼女が拡張部の部長になるべきだったのだが、彼女は実家の仕事の手伝いで忙しいからなぁ」
 春香……どこかで聞いたことがあるような名前だった。
 俺はこのぶっ飛んだ女についていくことにした。だがその前に聞いておくことがあった。
「あんたの名前は?」
「わたし? 北大路恋(きたおおじれん)だ」